夏休みの未消化分を使って福島県の磐梯吾妻スカイラインを走った。自宅から東北自動車道の福島西ICまで片道250Kmある。往復で500Km。トータルは600Kmを越えるタフなツーリングになりそうである。
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ズルズルと準備していたら家を出るのが8時半になってしまった。
朝から汗ばむ陽気である。練馬ICから外環にはいると、なんと大渋滞である。道路工事が必要なほどの事故があったようで事故現場を工事していた。
予想より少し時間がかかったけど東北自動車道に入った。自宅から2時間ノンストップで矢板北PAで最初の休憩をした。
再び福島松川SAまで休まずに一気に走った。途中、災害復旧工事で片道1車線だった。東北大震災から1年半たった今でも、まだ東北道は完全復旧してはいなかった。
昼過ぎに福島西ICを降りて、国道115号線を行く。天気はいいが、風が相当に強い。ほどなく吾妻山の山並みを縫うように走り始める。
深い森の向こうに吾妻連峰の山の地肌が露出した一切経山が見えるようになってきた。
風はそうとう強いが、天気がいいので浄土平近くまで来ると一切経山がクッキリと見える。
浄土平は爆風だった。バイクを浄土平駐車場の一番奥に止めた。
浄土平駐車場から見る一切経山。
風が強くて吾妻小富士へ登るのを躊躇したけど登ってみることにした。
途中から見た浄土平レストハウス。
山の上の黒点はレンズに付着したゴミではなくて、なにか凧みたいなものを飛ばしていた。
頂上はなんともいえない荒涼とした世界である。
そして火口には引き込まれてしまいそうな凄みがあった。
火口の底。
後ろを振り返ると
目の前で繰り広げられる世界と背後世界のアンバランスさが一層火口の凄みを増してる気がした。
火口外周を1周できる。
が、幅1~2m程の道幅で、そこにカメラを乗せてない三脚をなぎ倒すほどの突風が時折吹く。その風にビビリながら火口の反対側に来た。
後ろには福島市が一望できる。
火口を右回りで回った後半は結構な坂の上足場はこんなだった。
その上突風が吹くので、すべりそうで怖かった。しかし、そこから見える磐梯吾妻ラインが美しく、まさに絶景の道と言われる所以が納得である。
吾妻小富士を降り、バイクに戻ると午後3時を回っていた。先ほど山の上から見た道を走った。荒涼とした素晴らしい道だった。バイクを駐車できそうな場所がなく通り過ぎただけになってしまったのが残念である。
再び福島西ICに戻って帰路に入った。温泉もたくさんあるし、日帰りで来るにはもったいないコースである。
総走行距離 624.5Km
2012年9月14日金曜日
2012年9月11日火曜日
飯田線の旅 ① 天竜峡散策
今回の旅は、東京駅から東海道新幹線「ひかり」で豊橋まで行き、飯田線で辰野までいき、岡谷まで出て、そこからスーパーあずさで吉祥寺に戻るコースにした。
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9月8日 飯田線の旅 豊橋~飯田まで
吉祥寺発5時22分の東京行きに乗って、東京発6時26分の「ひかり501」に乗って豊橋に向った。
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豊橋発8時11分の飯田線、天竜峡行きに乗った。
電車に乗り込むとほとんど座席は埋まっていた。乗車して1時間くらいは結構混んでいた。
本長篠駅を過ぎてくると車窓に天竜川が見えてくる。車内も徐々に空いてきた。
湯谷温泉駅を過ぎると電車は川沿いを走り、所々車窓に美しい渓流美を堪能できる。
そうこうしているうちに中部天竜駅に到着した。25分停車なので降りてみた。
改札を出て駅の外まで出れた。
再び電車に乗り込む。
中部天竜駅を出ると、電車は深い谷間とトンネルを繰り返し通過し、2時間以上かけて14時13分、終点の天竜峡駅に到着した。
遅めの昼食を天竜峡駅で摂った。手打ちそばで、大根の辛味そばを食べた。かなりの辛味だったけどスッキリしていて美味しかった。
姑射橋の手前に天竜峡遊歩道の入口があった。
樹齢300年以上の松林のなかを歩いていくと伏見田尻稲荷というお稲荷さんがあった。
さらに歩いていくと龍角峯が正面に見える展望台に出た。
展望台の先端まで行ってみると、まさに深山幽谷。
少し行くと「つつじ橋」というつり橋に出た。
橋の途中から川の上流下流を見てみると、これぞ峡谷、といった感じである。
つつじ橋を渡って階段を登っていくと再び展望台に出た。
眼下につつじ橋が見える。
反対側に目をやると
スタート地点の姑射橋が見えた。
今度は対岸の遊歩道を歩く事になる。
柵の下は崖である。
再び姑射橋に戻り天竜峡を見ていると
足元をライン下りの舟が通っていった。
舟はみるみる下流へ下っていった。
再び天竜峡駅に戻り飯田線に乗って飯田駅に向った。
飯田は城下町で思っていたより大きな街だった。
駅まで今宵の宿、「天空の城三宜亭本館」のスタッフの方に迎えに来てもらった。宿への道すがら飯田の街を案内してもらえた。
三宜亭本館はかなりな高台に建っていて、部屋の窓から街が見渡せた。
食事まで時間があるので三宜亭本館の周辺を散策してみた。
宿の人に教わったのであるが、飯田市追手町小学校 昭和4年建設のコンクリート造りで、昭和22年の飯田の大火でも難を逃れたそうである。
飯田城の唯一の遺構である桜丸御門(通称:赤門)。扉・柱などがベンガラで赤く塗られている赤門は、現在、東京大学の赤門とこの飯田城赤門だけが現存しているそーである。
飯田市美術博物館の樹齢450年といわれるエドヒガンザクラ。
幹の太さがハンパない。満開の様相を見てみたいものである。
残念ながら美術館は閉館時間になっていた。裏から見た柳田國男館。
宿に戻ると今日は飯田市内2箇所で花火大会だった。そのうち市役所側の花火が部屋から綺麗に見えた。
食事は『南信州牛』満喫プランにしたので大満足だった。
前菜
ビシソワーズに冬瓜。(絶品)
松茸つきしゃぶしゃぶ。
もっと品数があったのだが、撮影する前についつい箸をのばしてしまって撮影できなかった。
温泉は源泉かけ流しで24時間入浴OKだった。ヌルっとした湯で非常に保温効果が高くて、肌がスベスベする感じでとてもいい湯だった。とてもいい感じの宿である。
つづく。
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9月8日 飯田線の旅 豊橋~飯田まで
吉祥寺発5時22分の東京行きに乗って、東京発6時26分の「ひかり501」に乗って豊橋に向った。
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豊橋発8時11分の飯田線、天竜峡行きに乗った。
電車に乗り込むとほとんど座席は埋まっていた。乗車して1時間くらいは結構混んでいた。
本長篠駅を過ぎてくると車窓に天竜川が見えてくる。車内も徐々に空いてきた。
湯谷温泉駅を過ぎると電車は川沿いを走り、所々車窓に美しい渓流美を堪能できる。
そうこうしているうちに中部天竜駅に到着した。25分停車なので降りてみた。
改札を出て駅の外まで出れた。
再び電車に乗り込む。
中部天竜駅を出ると、電車は深い谷間とトンネルを繰り返し通過し、2時間以上かけて14時13分、終点の天竜峡駅に到着した。
遅めの昼食を天竜峡駅で摂った。手打ちそばで、大根の辛味そばを食べた。かなりの辛味だったけどスッキリしていて美味しかった。
姑射橋の手前に天竜峡遊歩道の入口があった。
樹齢300年以上の松林のなかを歩いていくと伏見田尻稲荷というお稲荷さんがあった。
さらに歩いていくと龍角峯が正面に見える展望台に出た。
展望台の先端まで行ってみると、まさに深山幽谷。
少し行くと「つつじ橋」というつり橋に出た。
橋の途中から川の上流下流を見てみると、これぞ峡谷、といった感じである。
つつじ橋を渡って階段を登っていくと再び展望台に出た。
眼下につつじ橋が見える。
反対側に目をやると
スタート地点の姑射橋が見えた。
今度は対岸の遊歩道を歩く事になる。
柵の下は崖である。
再び姑射橋に戻り天竜峡を見ていると
足元をライン下りの舟が通っていった。
舟はみるみる下流へ下っていった。
再び天竜峡駅に戻り飯田線に乗って飯田駅に向った。
飯田は城下町で思っていたより大きな街だった。
駅まで今宵の宿、「天空の城三宜亭本館」のスタッフの方に迎えに来てもらった。宿への道すがら飯田の街を案内してもらえた。
三宜亭本館はかなりな高台に建っていて、部屋の窓から街が見渡せた。
食事まで時間があるので三宜亭本館の周辺を散策してみた。
宿の人に教わったのであるが、飯田市追手町小学校 昭和4年建設のコンクリート造りで、昭和22年の飯田の大火でも難を逃れたそうである。
飯田城の唯一の遺構である桜丸御門(通称:赤門)。扉・柱などがベンガラで赤く塗られている赤門は、現在、東京大学の赤門とこの飯田城赤門だけが現存しているそーである。
飯田市美術博物館の樹齢450年といわれるエドヒガンザクラ。
幹の太さがハンパない。満開の様相を見てみたいものである。
残念ながら美術館は閉館時間になっていた。裏から見た柳田國男館。
宿に戻ると今日は飯田市内2箇所で花火大会だった。そのうち市役所側の花火が部屋から綺麗に見えた。
食事は『南信州牛』満喫プランにしたので大満足だった。
前菜
ビシソワーズに冬瓜。(絶品)
松茸つきしゃぶしゃぶ。
もっと品数があったのだが、撮影する前についつい箸をのばしてしまって撮影できなかった。
温泉は源泉かけ流しで24時間入浴OKだった。ヌルっとした湯で非常に保温効果が高くて、肌がスベスベする感じでとてもいい湯だった。とてもいい感じの宿である。
つづく。
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